director's voice

自分の感受性くらい

今日は風姿という章でご紹介する中の3人の作家の方を。
と思っていたのですが、タ、タ、タ、タンと作家紹介ばかりになってしまうので、
ちょっとブレイクに変えました。(スミマセン!)

20の工房を訪ねて
がメインですが、章ごとにもブレイクのように、
工房からの風の点景として画像をぐるりと頁を枠のように囲み
その中にコラムを書きました。
「先生と作家さん」
「おばあちゃん」
「凪ぐ浜の宝物」
というタイトルです。

また、各章の扉には、右頁に応募要項や、最初のミーティングでお配りする文書、
ホームページの中から、企画者が特に伝えたい文章を記して、
左側にそのミニ?解説をしています。

それらが、実はこの本で伝えたいことの尾のようなものかもしれません。
そして、あとがきには、この本作りの間中、ずっと心にあった
茨木のり子さんの「自分の感受性くらい」を、
出版社からご許可をいただき、掲載させていただきました。
この詩のあとに、私はこのような言葉を綴っています。

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暮らしに生きる道具、ものを作る仕事。
使う人が存在して、そこに向かって続けられる制作。
それはいわゆる自己表現ということとは異なります。
けれど、やはり創造なのだとあらためて思うのです。
作ることへの慎みと、それを抱いての創造。
その揺れ動きの中で、作り、働き、暮らし、生きる人たちに惹かれてきました。
一人ひとりが見出す光、見出そうとしている姿に。

けれどもときに、その光を薄く思うこともあります。
それは、発信力や影響力を持つ人や媒体に、
作ることが集約されていくのを感じるときでしょうか。
誰かが時間をかけて考え、生み出した思想に無自覚に寄りかたまっていくような流れ。
私だってうっかりすれば、時代の心地よい流れに乗ってしまうかもしれない。
だからこそ、自分の感受性くらい、自分で守れ、と振り返りたいのです。

:::

10回の開催を重ねて、上のような思いがあったからこそ、
この本が生まれたような気がします。
たとえば、本の中で書かせていただいた方たちを、
私はもちろん、すばらしいと思っていますけれど、
それは、あくまで私が思っていること。

本に載ったからとか、誰かがいいといっているからとか、
もっと言えば「工房からの風」に出たから、いい、のではなく、
自分の心で、この作品いい、とか、この作家いい!
と思う人が増えて、集まったらいいな。
そんなことを思っています。

と、ブレイクというよりは、ちょっとマジメ!な今日のdirector’s voiceですね~
さて、今日の画像はこちら。

無事校了となりました!
ふ~
暑い、熱い、夏が終わりました!

(この本、10月6日(土)7日(日)8日(月・祝)に、
コルトンプラザタワーコートで先行販売させていただきます。
他にもイベントもありますので、お近くの方、ぜひいらしてください。
ちなみに、書店さんは10日ごろかと思います )