director's voice

Chizucaさんから

草木で染めた糸で編んだ装身具を制作するChizucaさん。
おりひめ神社の奥で展示をしてくださっていましたね。
Chizucaさんからのメール、一部転載の許可をいただきましたので、
ご紹介いたします。

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マルテの手記は私自身がレース糸を編んでいることもあり、
とても心に響き、数日間想いを巡らせました。

きっと、マルテの見たレースの編み目は、
とても美しく整っていたに違いないとまず感じました。

糸を編んでいるとき、心は穏やかな海のような静けさになります。
心が乱れているときには編み目もなぜだか不揃いになります。

それでも編み続けていると、
心は静寂を取り戻し、編み目も心の平穏と共に整ってきます。
編み目に心の機微が現れるのです。

自分の指と、糸とがリズムを刻むように動き、
いつまでも手を動かしていたい衝動に駆られます。

手を動かすことで、心の曇りもいつしか晴れ渡り、
澄んだ風が吹き抜けていく…
そんな幸福な瞬間をいつまでも感じていたいので、
私は作り続けています。

そして、その幸福な瞬間・豊かな時間を、
誰かと共有したくて作品を発表しているのかもしれません。

そういう意味では、作ることそのものも天国ですが、
想いを共有できたとき、伝えたい人に届いた瞬間も充実した時間の一つです。
(それが天国?かどうかまでは正直わかりません…)

また、想いを共有できた人との交流や、
ものづくりを通して広がる輪も、かけがえのない大切なものです。

作ることで心豊かになることを伝えたい。
そう思って始めた制作活動ですが、
作ることがいつのまにか作業になり、作品を商品として扱われていく…
そんなことに疑問を感じ、
方向性に迷っていたタイミングで工房からの風に応募しました。

応募するとき、そして、出展が決まってからの半年間と、
自分に向き合わなかった日がないくらいでした。

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それから、吉田さんの考察での一文。
「自分の身体や言葉より、
 時に作品の方がその人自身を本当に語るものになる。」

以前、作品そのままのような子ね。と言ってくださった方がいました。
その時の私には意味がわかりませんでしたが、
吉田さんの考察を読んで、賞賛だったことに気づきました。

賞賛をくださった方に恥じない、自分でありたい。
恥じない、もの作りをしていきたい。
そう、心が決まりました。

これからの道のりで迷ったとき、
ぶれそうになった時には、
工房からの風で見た、森の中の木漏れ日を思い出したいです。

工房からの風は、第二の学校のような場所でもありました。
たくさんの温かな人と出会える場所。
大人になるにつれ忘れかけていた、
目に見えない大切なものを取り戻せました。

作ることでしか自分を表現できない私にとっては、
工房からの風を通して過ごした時間はまるで天国のようでした。
かけがえのない実りをありがとうございました!

やり切れなくて悔いの残ることが多いので、
自分がもう一歩成長できたとき、再挑戦させてください。

 

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Chizucaさん、ありがとうございます。
編む仕事の部分もあるChizucaさんには殊に響いた部分もあったことと思います。
作る時間と伝える時間、そのどちらもが豊かであってほしいですよね。
時に思うようにばかリいかないこともありますが、
それでも忘れたくない大事なことに焦点を当てながら進むことが、
続けることには大切なような気がします。

自分がなにより自分を認め、励ましてあげること。
そして、今回のよき出会いの中で得た人との輪の中で、
他者をほんとうの意味で励ますことにできるひとであれたなら。
そんなことを思うのでした。

Chizucaさんは、お庭の手入れにも来てくださる方。
ぜひまた、お庭でお会いいたしましょう。

凪ぐ浜の宝もの、続きます。