Q1
「工房からの風」への出展作品についてお尋ねします。
しんこきゅうさんの代表的な作品、または、定番的な作品、作り続けている作品の中から、ひとつをご紹介ください。
A1
wine cupのご紹介をさせていただきます。
このbrown obiのシリーズは今年1月に販売したばかりなので定番とまでは言い難いのですが、ワインカップの足を作るのには通常のコップを仕上げる刃物とは違い、幾種類の刃物を使います。
木の器を作る職人の事を木地師と言いますが、木地師は自分で鍛造し刃物を作ります。
基本的な刃物の形はありますが、よって人それぞれに腕の長さや座高の違いにより刃物が異なります。
さらにワインカップなどは人によって作り方は千差万別です。
刃物だけでなく、削る順番、材料を機械に固定する方法さえも異なります。
私がこの形に取り組んだのは外注を作り始めたのがきっかけです。
作れるようになるまでたくさんの試行錯誤を繰り返しました。
今では自分のやり方が固定されてきましたが、知り合いの木地屋さんの挽き方を見るたびに新しい発見があります。
そして何より作るのが楽しい形です。
作れるようになるまでの道のりが一筋縄ではいかなかったからこそ、想い入れのある形になっております。
Q2
もう一つ作品について教えてください。
今回、特に見ていただきたい作品はどのようなものでしょうか。
新作や、今特に力を注いでいる作品についてひとつをご紹介ください。
A2
今回この展示会で初めてお披露目することになるお皿があります。
名前はまだ決まっていませんが、山中漆器の伝統技法の加飾挽きを使った器になります。
こちらの器は削る際に刃物が飛び跳ねる「飛び鉋(かんな)」と呼ばれる刃物を使います。
木地師は刃物の事を鉋と呼びます。
小鹿田焼をイメージしていただけるとわかりやすいかもしれません。
木の器に模様が彫られている器は一度は目にしたことが有るのではないでしょうか?
こたつの上に置いてあるミカンの鉢や、茶たくなど主に昭和時代の物に潜んでいます。
私はこの技法ををもう少し現代の人も使いやすい形にできないかと模索していました。
しかしながら、問題なのは一定の模様にそろえることが難しいことです。
そこで「工房からの風」のディレクターの稲垣さんに相談したところ、
「それがいいんじゃない」と。
これには天地がひっくり返りました。
同じものを作らなくてはお客様に収められないという職人の固定概念が覆ったからです。
作家は自分の好きなものを作ってよいという、一見当たり前なのかもしれませんが、私にとっては別次元への転生です。
今も不思議でふわふわしています。
作品やこれからの方向性が変わってくるんだなと、新たな道の上にいるように感じており、どんな世界や自分に出会えるのかこれからが楽しみです。
そんな私の一歩をご覧いただけたら幸いです。
Q3
しんこきゅうさんの「工房」で印象的な「もの」をひとつ教えてください。
A3
轆轤というと粘土を思い浮かべる方が9割です。
私が使っている轆轤は木を削ります。
産地によっても轆轤自体も刃物の形状も異なります。
轆轤の起源を調べると、縄文時代から回転体の木製品は見つかっています。
そして木製品の回転体でよく知られているのは「百万塔」です。
天平宝字8年(764)から宝亀元年(770)という短期間で100万という大量の数が制作されました。
この百万塔は簡素に書くと小さな3重の塔で、いわばワインカップの足の部分が3つ重なった塔です。
さらには塔の中心部は筒状になっており「相輪」という輪が連なった蓋が付いています。
蓋を開けると「「陀羅尼(だらに)」」というお経が入っています。
最古の印刷物です。
これらは反乱が起こった後に今後は繰り返さないよう祈願をこめて制作されたもので、現在も4万塔法隆寺に保管されています。
現代の轆轤の技術でもこれを作るのはかなり難儀です。
当時どのようにこの短期間で作られたのか?
刃物はどんなものだったのか?
個人的に考えてしまうのは、ろくろの資料を調べると必ず出てくる二人一組になって一人は紐を引っ張り一人は削るという昔の製法です。
しかしこれが本当に盛んだったのか不思議でなりません。
また、山中漆器の起源は「お椀か川の上流から流れてきた」この出会いがきっかけで轆轤挽きが盛んにおこなわれるようになったそうです。
以上の事からも川辺の近くでの制作、水車を使った轆轤だったのではないかと推測してしまうのです。
水車の轆轤も存在したという資料は残っていますが、全国に的にはやはり二人一組の手挽きが主流です。
また昔は県から県に移動することは制限されていました。
滋賀県で惟崇親王が轆轤を全国に広めたという言い伝えがありますが、その時に発行される「許状」これらは本当に木地を作る為に使われていたのでしょうか?
長くなってしまいましたが、私が言いたいことは、こんなにも謎が多いロマンが詰まった日本の手挽き轆轤を失っても良いのか?ということです。
西洋のウッドターニングは日本でもたくさん使われています。
作家さんもたくさんいらっしゃいます。
そして時代の流れはNC旋盤でPCに繋ぎデータを作れば勝手に機械が作ってくれます。
私が作っているのはただの木の器です。
されどそこには時代と、幾人の人が伝え今に至ります。
日本の歩みの一つを簡単に手放して良いのでしょうか?
伝統工芸とはなにか?
私は常に問うてしまうのです。
しんこきゅう、堆朱杏奈(ついしゅあんな)さんから、長いメッセージをいただきました。
少しまとめて短く掲載させていただいた方が、この場では読んでいただきやすかな、と思いました。
けれど、とても大切なことが綴られていて、どこも削ることができなかったので、そのまま載せさせていただきますね。
堆朱さんの印象はたたかうひと。
願うものを作るために出会う矛盾を見過ごさず、解決しようと臨んでいらっしゃるのだと思います。
そのような日々の中、「工房からの風」のミーティングを通して新たな出会いを得られたのですね。
同じものづくりながら、職人とは異なる作り手との出会いは、発想の転換や視野の広がりにつながっていくかもしれません。
「それがいいんじゃない」
私が素直に応えたフレーズが、天地をひっくり返したとは!
私もびっくりです‼
しんこきゅうさんの出展場所は、ニッケ鎮守の杜、おりひめ神社の脇
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ところで「堆朱」(ついしゅ)さんとは、木工にぴったりのご苗字だと思いましたら、足利時代から続く由緒ある家系の繋がりであるとのこと。
NUMERO TOKYOに詳しい記事がありますので、ご覧いただければと思います。
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