director's voice

マルテの手記

第16回「工房からの風」終了いたしました。
初日午後、ほんの一瞬、降ってるかな?みたいな雨がありましたが、
あとは秋曇りの二日間に恵まれました。
日曜日午後には晴れ間も出て、作品に木漏れ日が揺れ、
ああ、このシーンを皆さんと共有したかったんだ!
と喜びに包まれました。

今回もたくさんのご来場をいただきました。
心より御礼申し上げます。

賑やかで和やか。
工房からの風ならではのお客様が作り出すこの空気感。
作り手、使い手、つなぎ手が結び合って生まれるこの雰囲気を愛してくださる方が
こんなにいてくださることは、企画者としてほんとうに励みになります。
ありがとうございます。
第17回への応募についてもお問い合わせをいただいております。
10月開催を予定しておりますが、日程を最終調整中ですので、
決定次第こちらからお知らせさせていただきます。

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「このレースを編んだ人たちはきっと天国へ行ったよね」
と僕は感嘆しつつ言った。
しばらくして、僕がもう忘れてしまった時、ママンはゆっくり言った。
「天国へ?その人たちはみんな、このレースの中にいると思うわ。
そう思って見ると、これは本当に永遠の幸せかもしれないのよ。」

『マルテの手記 (光文社古典新訳文庫)』(リルケ, 松永 美穂 著)

ここからは、企画者のちょっと生々しい想いです。
ふんわり心地よい工房からの風、ありがとう!
作り手っていいよねー、という感じで終了する方が
ご挨拶としてはよいのかもしれませんが、
今日は今の想いをなるべく正確にここに書き残し、
響く方と共有することで、次への耕しとしたいと思います。
なので、ご興味のない方は、どうぞスルーしてくださいね。

上に引いた一文は、鞍田崇さんとのトークイベントで出てきたお話しから。
ライナー・マリア・リルケの小説『マルテの手記』の一節です。
デンマーク出身の青年詩人マルテが、パリで孤独な生活を送りながら
街や人々、芸術、自身の思い出などについて書かれたもの。

ママンの思い出をつづる一節。
素晴らしいレース編みを見た少年が
「このレースを編んだ人たちはきっと天国へ行ったよね」
とママンに言うと、その言葉にはすぐには答えず、
しばらくしてから、
「このレースを編んだ人たちは、このレースの中にいる」
というくだりです。

上に引いたのは、光文社古典新訳文庫の松永美穂さんの訳なので、
鞍田さんが読まれた訳本とはちょっと表現が違っていて、
鞍田さんのお話では、

「レースを編んだから天国に行くのではなくて、
このレースを編んでいる時こそが天国なのよ」

と話してくださいました。
そして、そのお話しがとてもとても響いたのでした。
ものをつくっている時こそが天国であって、
天国に行くために作っているのではない。
ということに。

「工房からの風」は、回を重ねて大きな展覧会に育てていただきました。
それに応じて、出展作家もこの場に対しての期待が大きくなっているのだと思います。
ここに出たら作家としてデビューできる?
ここに出たら有名になれる??
ここに出たら人気作家になれる???

役割上、作家が仕事としてこれをどのように立たせていくかを話しあう機会も増えてきました。
その中で、共感しあえる時と、何とも言えない違和感のある時が生まれるときがあります。
それがなんなんだろう、、、とずっと思ってきましたが、
鞍田さんとの話の中で、その答えの糸口を見たように思ったのでした。

ものをつくり発表することで天国に行こうとしているひと
と、
ものを作っている時間こそ天国と思えるひと

どちらの方がよいとか正しいという話ではないのです。
私は「ものを作っている時間こそ天国と思えるひと」
に惹かれる、ということです。
そういう人やものを紹介するために、この役割を尽くしたい、
さまざまな困難があっても、そう思えるからこの役割を続けているのだ、
そう気づかされたのでした。

会が成熟することで、
「ものをつくり発表することで天国に行こうとしているひと」
のパッションが強くなって来ているのかもしれません。
でも、その方向に歩を進めれば、ここでいう「ものづくり」
工藝、手仕事が果たして必要なのだろうか?
そんなことも思います。

結果を想定して、そこに向かう。
その過程として「作る行為」がある。
工業化が進む中で、作る行為は過程にしか過ぎなくなりました。
しかし、その過程に天国を見出す人たちが発する何かに感応する人たちがいる。
工房からの風に来場くださるたくさんの方々の中には、
意識せずとも、このように感じてくださっている方が多いのではないか。
そんな雲を掴むような感覚を大切に思いながら、
次の企画に生かしていきたいと思うのです。

「ものを作っている時間こそ天国と思えるひと」
が、心安らかにものを作り続けていけるように。
そして、こうして作られたものや想いを
愛おしく求めるひとにちゃんと伝わるように。

次回の募集を前に、少し手垢がついてきたかもしれない
募集要項やコンセプトを磨き直したい。
そんなことを深く感じたのでした。

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トークイベントにお越しいただいた鞍田崇さん、ありがとうございました!
そして、ここまで読んでくださった方にもお礼を申し上げます。
寝不足の頭でざっくりとした書き方でちゃんとお伝えできているか心配もありますが、
新鮮なうちに、メモ的ではありますが、ここに記します。

次回出展作家は
「ものを作っている時間こそ天国と思えるひと」
で構成したいと希っています。

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追記

鞍田さんが、読まれた岩波文庫の該当文章を送ってくださいました。

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作っている時間が天国、
作ったものそのものが天国、
ニュアンスはちょっと違いますが、いずれ結果ありきではないところですね。

Facebookでは、箒の吉田慎司さんが、鞍田さんと私のやり取りを通して、
考察をしてくださいました。
一部、転載いたしますね。

個人的には、前者の訳もありだと思いました!

<その人たちはみんな、このレースの中にいる。
これは本当に永遠の幸せかもしれない。>

一文目
作る人は、魂、背負って来たもの、自ら築き上げたもの、
命を作品にするものなので、作品の中にあなたが生きていますね。
というのはすごい賞賛なんじゃないかと思う。

自分の身体や言葉より、時に作品の方が
その人自身を本当に語るものになる。と解釈しました。

二文目
僕達が本当に満足出来る1つを作れるとしたら、
それは人や世界を豊かにするもので、
先人への絶え間ない敬意で、世界へ送り出した、
自分の出した命としての答え。結晶なんだと思います。

もちろん満足しなくて、まだ先があると思って作り続ける訳だけど…
永遠に揺るぎない結晶があるとしたら。
その作品と、自分の心が1つになっているとしたら、
それは本当に幸せ、形になった天国だと思います。

作りながら、いつも作品と1つになって、
その結晶の雫、先端にいつも触れているとしら、
作っている時が天国。とすると、後者の訳かなと解釈しました。

自分は、かっこいい職人さんをみて、
いま世界に必要な答えはこれだ。って思ったし、
熟練の職人さんは本当に、本人より仕事が先立って仕事と一体化している所があって、
すごく民藝に繋がる話だと思いました。

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他にも、早速感想メールを下さる方が短時間に続き・・・。
響いてくださる作家も多いんだと、励まされたりしています。
私が励ます側なのですよね。。
でも、一方通行ではなく、循環ということで、想いの交感していきたいと思います。
ではひとまず。。
片付けに戻ります・・。