director's voice

吉田慎司さんより

「マルテの手記」をブログにあげた直後、
風人の吉田慎司さんがフェイスブックにこのことについて、
記事をあげてくださいました。
転載の許可をいただきましたので、こちらからも。
私が引いたものが、光文社古典新訳文庫 松永美穂訳だったのですが、
鞍田さんが読まれたものは、岩波文庫 望月市恵訳
ほかにも新潮文庫 大山定一訳 などもあって、
天国のある表現がさまざまだったことからの考察もあります。

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これはいい話!当日聞けなかったけど、エッセンスだけでも聞けて嬉しい。

稲垣さんの読解、間違いない。
個人的には、前者の訳もありだと思いました!

一文目
作る人は、魂、背負って来たもの、自ら築き上げたもの、命を作品にするものなので、作品の中にあなたが生きていますね。
というのはすごい賞賛なんじゃないかと思う。

自分の身体や言葉より、時に作品の方がその人自身を本当に語るものになる。
と解釈しました。

二文目
僕達が本当に満足出来る1つを作れるとしたら、それは人や世界を豊かにするもので、先人への絶え間ない敬意で、世界へ送り出した、自分の出した命としての答え。
結晶なんだと思います。

もちろん満足しなくて、まだ先があると思って作り続ける訳だけど、永遠に揺るぎない結晶があるとしたら。
その作品と、自分の心が1つになっているとしたら、それは本当に幸せ、形になった天国だと思います。

作りながら、いつも作品と1つになって、その結晶の雫、先端にいつも触れているとしら、作っている時が天国。
とすると、後者の訳かなと解釈しました。

自分は、かっこいい職人さんをみて、いま世界に必要な答えはこれだ。って思ったし、
熟練の職人さんは本当に、本人より仕事が先立って仕事と一体化している所があって、すごく民藝に繋がる話だと思いました。

リルケ素敵、とは聞いていましたが、めちゃめちゃいいですね!
読んでないので、今度読んでみよう。
(もっと気になったら、原著にあたろうと思います 笑)

※鞍田さん、稲垣さん、工房からの風の興奮冷めやらないベストタイミングだったので、便乗してしまってすみません。
しかも、違う意見を提出するという本当に素敵な話。
この意識が来場の皆さん、作家さん、未来の作家さんに伝わっていくと考えると、風人冥利に尽きます!
誠に、ありがとうございました!!!

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作っているときこそが天国

作ったものに天国がある

いずれにしても、作っている時間、作ったもの、そのものが天国であって、
作ることで、作ったもので天国に行きたいと願うこととの違いを描いているのですね。

ぞくぞく、作家の方から「マルテの手記」にちなんだメール、届いています。